村井です
「アスベスト」人体に有害(それ単体に害はないそうですが)な物質で、以前は建築関係や車の部品等に大量に使用されていた、いわゆる「石綿」の事です。
こんにちは、鶴見です。
先日、探し物をしている際に懐かしいものを見つけました。
それは私の青春時代を撮った写真です。
学生時代に私はカヌーに明け暮れていました。
(正確に言うと、リバーカヤックとシーカヤックです)
カヌー競技ではなく、カヌーで旅をすることに夢中になっていました。
写真はその頃のものです。
(現像した写真を写したので、写りが悪いです)
大学のカヌーサークルに所属し、北は北海道から南は沖縄まで
活動範囲は広かったですね。
ひたすらバイトして車とキャンプ道具、それからリバーカヤックを買いました。
白と黒の船体のカヤックは折り畳み式のもので、テントやキャンプ道具一式と
一緒に大きなザックにまとめて背負うことのできるものです。
この船とテントは、年間100日から多い年は120日位ともに時間を共有しました。
(毎週末のほか夏休み全部とゴールデンウィーク、シルバーウィーク、その他)
上の写真は24年前の夏休み中に、北海道の「釧路川」を旅した時のものです。
釧路川の源流は「屈斜路湖」という湖で、その湖の湖岸から出発し
1週間かけて太平洋に出るという旅でした。
その間のキャンプ地は、上陸出来そうな川のほとりを見つけキャンプする
というものです。
釧路川の上流部は、湿原と原生林の中を流れるため、このような倒木が
川の中にたくさんあります。
釧路川カヌーツーリングは、学生時代に2回行ったお気に入りの旅です。
川を下り終えた後は、船をたたんでザックに詰め、住んでいたアパートへ
宅配で送りました。
それからはキャンプ道具一式を持ち、1ヶ月近く北海道一周の「貧乏旅」を
したのが強烈な印象として残っています。
この写真は大学3年の時に、ニュージーランドから輸入して買った
オーダーメイドの「シーカヤック」に乗るため、福島県にある「秋元湖」へ
行った時のものです。
さすがに高価だったため、建築現場やビル清掃、夜間は宅配便のバイトを掛持ちし、
それからカヌーショップのバイトもさせてもらい、やっと手に入れた「船」です。
この頃はカヌーショップのインストラクターとして、イベントにも参加していました。
学生最後の「旅」に選んだのは、沖縄の「慶良間諸島」。
酒好きな友人との、男2人旅でした。
慶良間諸島は沖縄本島の那覇市から、西に約40kmに点在する20余りの
島々からなるところです。
そこで一つの島に1週間ベースキャンプを張り、無人島など島々を
カヌーで渡り歩くというプランでした。
この時も折り畳みの船を背負い、カーフェリーでたしか2泊3日かけて行ったと
思います。
(お金は無くても、時間はありました。)
沖縄の海の記憶は、とにかく砂浜の白と海の青ですね。
ひたすら海を渡り、海に潜り、そして夜は右手に泡盛、左手にオリオンビール!
今思えば夢のような時間です。
こんなものも見つけました。(ちょっと画質が悪くて見えないかなぁ)
「琉球政府」と書かれたものです。
私の生まれた年に、沖縄は日本に返還されました。
返還される前までの20年間存在した「琉球政府」の文字を見て、時間が
止まっているような不思議な感覚を覚えたのを思い出します。
この旅の最終日、いつものように近くの公園にあるシャワーを浴びていると
近所のオジー(おじいさん)がやってきて
「あんたらぁ、寒くないの」
そう言っていたの思い出します。
この時は2月の初旬で、オジーは飛行機乗りが被るような耳まで覆う
暖かそうな帽子をかぶり、寒そうに帰って行ったのでした。
この後東京に戻ると、かなり雪が降っていました。
20年以上前の懐かしい写真を見ていると、まるでその当時の様に
記憶がよみがえります。
忙しくなった毎日のなかで、このきらきらとした体験は私の心の中の太陽です。
(何だか最近、そんなことを想うことが多くなりました。)
今日はいい天気ですね。
昨日とはまるで違う陽気で、身体がついていかなくなります。
娘も先週は風邪をひき、1週間幼稚園を休んでしまいました。
皆さんもお気を付けください。
リフォーム館のハンドメイドコーナーには
これからお役立ちすること間違いなし!
お子さん用の『 マ ス ク 』を販売して
います。
男の子用・女の子用とありますので
ご来場くださいね (野村)
村井です
昨日はいい天気だったのに、今日は一日雨で肌寒かったですね!
昨日も書きましたが、リフォーム館は5月にリニューアルオープンさせていただきました。その際に制服も変わったんですが・・・
村井です
昨日・今日とリフォーム館の西隣りではK様が上棟を迎え、大勢の大工さんが朝から晩まで頑張っていました。仕事をしながら聞こえてくるカケヤ(木を叩く大きなハンマーです)の音を聞いていると、テンション上がりますね!
こんにちは、鶴見です。
今日は、現在改装中のN様邸現場のご紹介です。
今回リフォームを行うN様邸は20年以上前、前任の小池旧店長が
新人の時にお世話になったお客様です。
息子さんご夫婦が戻ってくる為この機会にということで、1Fの個室の
壁を抜いて間取りの変更などを行うことになりました。
変更前・変更後の図面は描きました。
しかし、当時の梁の組み方がどのように組まれていたのが分かる
図面はありません。
壁を抜く際に柱も抜くことになるので、どのように梁が組まれていて
どの柱に2階の重みがかかっているのかは、図面をみながら見当を
付けていくことになります。
しかし、それでも若干違った組み方をしている場合は、天井を壊して
目視出来るようになるまで分かりません。
今回もその様な個所が出て来ました。
解体工事の最後になって判明したのですが、抜く予定の柱に想定以上の
重みがかかっていました。
かと言って、今回のプラン上残すわけにはいかない柱で、しかもすでに
まわりは解体してしまっているため、どうしても抜かざるをえない部分です。
大工さんと相談し、新たな梁を下に架けることで2階の重みを支えるように
しました。
大工さん3人がかりで何とか大きな梁を入れることが出来ました。
他にも何カ所か補強のための梁を入れ、耐震のための筋交いを
入れ終えたので、構造材の工事は間もなく終わりです。
次は内装下地造りの工事に入ります。
また、もう少し工事が進んだ時点でご報告したいと思います。
お楽しみに!
こんばんは!
藤井です
今週はだいぶ冷え込みが激しくなりましたね~
皆さんは風邪などひかれていませんか?
あったかくして過ごしてくださいね
さてさて、先日から私は「真田十勇士観たい~」と呟いておりましたけれども、
お休みはいただいているにもかかわらずまだ観に行けていません。
というのも・・・
あの映画は西軍逆転勝利みたいな話だと聞いたからです!
実は大河ドラマの『真田丸』のほうを、
犬伏以降見れていないのです。
理由は「豊臣が、西軍が、石田が、大谷が、真田昌幸・信繁が負ける」と知っているからです。
私は茨城県古河市という、江戸時代においては徳川家康のご落胤とも言われている土井利勝公がおさめていた土地に住みながら、根っからの西軍推しでございます。
西軍の人間が大好きすぎて、まだ『真田丸』の関ヶ原の戦いの回から見れていないのです。
だから、現実を直視することすらできないのに理想を語るわけにはいかない!
六文銭だけを握りしめて一歩を踏み出す覚悟を持たんか!!
そんな思いから『真田十勇士』を観に行けていないのです。
我ながら熱すぎてうざったいですね~(笑)
ということで、まずは『真田丸』の関ケ原の回から、逃げずに見なければなりません。
石田三成が刑部(ぎょうぶ)の前で泣く姿を見て、つられて泣いている場合ではないのです。
越えねばならぬ壁なのです。
限界を知ればこそ人はさらに強くなれるのです。
絶対にくたばりたくないです。
と、まあ。
ただの歴史語りではございますけれども、
そういう気持ちというのは社会を生き抜くのに役立つものだと思っております。
仕事をしていくうえでも大切にしていきたいですね。
以上、歴史の情熱語りでした。
お粗末さまでした。
村井です
雨や台風に悩まされた8月中旬~9月が過ぎて、やっと天候が安定してきました。外壁塗装工事で予定させていただいたお客様も工期が大幅に遅れてご迷惑お掛けしております。そんな10月末工事着工予定のお客様で、今最後の色決めを悩んでいただいている方がいます。