こんにちは!
藤井です
私は今日という日を待ち遠しく思っておりました。
いいえ、本当は来てほしくなかったのかもしれません。
だって、今日は親子最後の日なのです。
あっ、『真田丸』の話です(笑)
皆さん、以前私が足利の記事を書いた時に
「犬伏の別れが~~」という話をしたのを覚えていらっしゃいますでしょうか?
そうです。
今夜の『真田丸』は、その『犬伏の別れ』の回なのでございます。
皆様は『犬伏の別れ』をご存知でしょうか?
慶長5年、西暦1600年の、天下分け目の関ケ原の戦いを目前に控えた7月の話です。
当時真田家は徳川について上杉討伐に向かい、
下総国犬伏(現在の栃木県佐野市犬伏新町)に陣を張っておりました。
そんな時です。
石田三成から「豊臣に味方せよ」という内容の密書が届きました。
その密書は『内府ちかいの条々』で、つまるところ『家康弾劾状』であり、
家康の横暴が何カ条にも渡り書かれていたといいます。
それを読んで「如何にするか」と話し合った場所が『犬伏の別れ』の地、
現在の栃木県佐野市にある犬伏新町薬師堂だといわれているのです。
住所は佐野市犬伏新町2058番です。米山古墳のお隣ですね。
当時このすぐそばを流れていたとされる川に架かっていた橋は
『真田父子別れ橋』と言われております。
犬伏で話し合ったのはわかった。だが、なぜ『別れ』なのか?
という方。
真田家はその話し合いで
徳川家康の重臣・本田忠勝の娘が妻である兄・信之は徳川側
石田三成の親友・大谷吉継の娘が妻である弟・信繁は豊臣側
につくことになりました。
父・昌幸については色々な説があるのですが、
三成から信州周辺の一部地域の領有を約束されていたのではないか、
という説が有力なのではないかな~と思っております。
そんな形で真田父子は離れ離れになるわけでございます。
昌幸と信繁は下総から上田に帰る際に、
今生の別れとして沼田城に立ち寄り、孫の顔(兄・信之の子)を見ようとしましたが、
小松姫に「たとえ義父であっても敵味方の間柄。主人の留守を預かる者として城へは入れられませぬ」と言われ、近くの寺に宿泊したといいます。
ここで余談ですが、本田忠勝といえばどんな人というイメージがありますか?
「とりあえずなんかすごい強い人!四天王とかいう!」
OKです。だいたいそれで合ってます(笑)
小松姫はそんな本田忠勝の娘です。
非の打ちどころがない武家の娘、その上容姿端麗だったといいます。
小松姫と昌幸のこのやり取りの話を聞いたとき、
小松姫のかっこよさにとても惹かれました。
しかも小松姫はこの時は昌幸と信繁の入城を断ったものの、
翌日子供を連れて昌幸のところに訪れているのです!
なんて素晴らしいお嫁さんなのでしょう!!尊敬します!!
さて、話を戻しましょうか。
この犬伏での話し合いがされたと言われているのは、
先ほども記しました通り1600年の7月なのですが、
日付まで申し上げますと、7月21日といわれております。
実は私、2012年(4年前)の7月21日に一度訪れておりました。
その時と現在とで、ビフォーアフターの写真がございます。
いかがでしょう?
4年前の姿は、こういっては何ですがさびれたお堂という感じです。
が、現在は・・・
こんなにキレイにされているのです!!
4年前に訪れた時には人影など一つもありませんでした。
ですが、今年は臨時駐車場を設けるほどお客様がいらしてます。
これが大河効果なのですね!
歴女としては嬉しいような寂しいような・・・(笑)
ですが、多くの人の目に触れて、たくさんの人が歴史を感じて、
それで地域貢献になれば良い事ですよね!
長くなりましたが、
大河真田丸『犬伏の別れ』
今夜放送ですよ!
日頃からお世話になっているツタエルさんの社員さんもオススメする今年の大河!
ぜひ一度ご覧になってみてください!
私も責任と自分をかけてしっかり決断し、
なおかつ後悔なく立派な一生を送れるよう頑張りたいと思います!!
それこそ日本一のツワモノ(広義)を目指して!
ということで、
真田の赤備え並みに熱い記事をお送りしました。
お付き合いいただき誠にありがとうございました。
これからもどうぞよしなにお願いいたします。
☆おまけ☆
佐野といえば佐野ラーメン!
私がオススメするのは田村屋さんでございます。
ぜひ佐野に行かれた際はこちらにも。
お店に入ると佐野のゆるキャラ・さのまるが輝かしい姿で出迎えてくれますよ!