ちょっとした訓練

 

こんにちは!

藤井です

 

最近リフォーム部ではブログ更新のために写真をたくさん残すよう心がけています!

また、7月に行ったリフォーム産業フェアのセミナーでのお話を参考にして

写真一枚でさえなるべくこだわるように意識改変しました。

今後の施行例は一味違うかも!?

(まだまだ修行が必要です。笑)

 

今回はその成果の賜物として『写真特集第一弾(藤井の章)』をお送りしたいと思います。

 

平和

鶴見です。

今日は8月6日。そう広島平和記念日です。

 

戦後71年にもなると、その当時のことを知る方達が少なくなり

戦争を知らない世代が多くなります。

 

もちろん私も戦争を知らない世代です。

しかし、こんな記憶があります。

 

私が幼い頃、両親と初めて電車で東京に行った時のことが

忘れられません。

どこの駅かは分かりませんが、地下鉄を降り、階段を上がって

出た先には大きな交差点がありました。

その交差点の向こう側に、今でも忘れられない光景がありました。

 

ビルの前に座り込む片足の無い汚れた軍服を着た人が、道行く人々に

物乞いをしていたのです。

他にも、片腕の無い人も見かけました。

 

その当時で戦後30年位だったのですが、まだ東京には戦争の

爪痕が色濃く残っていたように思います。

 

また少し前に「永遠の0」という、ゼロ戦の特攻隊員に焦点を

当てた映画がヒットしました。

 

実は私の伯父で、ゼロ戦に乗っていた元特攻隊員の人がいます。

今も高齢ですが健在です。

 

以前その伯父に特攻隊時代の話を聞いたことがあります。

 

たしか筑波海軍航空隊に所属していた伯父は、ある日出撃命令が

下り、最後の別れをする為に実家の上空で何度か旋回し、九州の

佐世保に向かったそうです。

その旋回していたゼロ戦の、操縦席から手を振る伯父の姿が見えたと

私の父も記憶に残っているそうです。

佐世保を過ぎてその先の南方まで飛んでしまうと、片道分の燃料しか

積まない特攻機はもう後戻りできないそうです。

 

伯父は佐世保を過ぎてすぐに終戦の連絡を受け、何とか戻れたそうです。

ただ仲間の何人かは、終戦の連絡を受けた後も帰還せず、そのまま戦地に

向かい戻らなかった人もいたようです。

 

この様に私の中では、戦争は全く知らない出来事ではないのです。

 

毎年この時期になると、TVで毎日のように戦争にかかわるニュースが

流れます。

 

ニュースを見るたび、色あせた軍服を着た元日本兵のうつろな眼差しが

思い出されます。

 

皆さんにとっての「戦争」とは、どのようなものでしょうか。

 

あっ、ブログを書いてるうちに8月7日になってました。