003:茨城県猿島郡境町 Sさま邸
「そんなら、オレが16歳の時に建てた家、見に行くか?」
当コーナーの打ち合わせをしていた時に偶然通りかかった会長のこの一言が、今回のワクワクインタビューの始まりでした。なんと、会長が16歳の時に生まれて初めて建てた家が、今でも立派に残っているんだそうです。築年数にして42年です。
【お客様】茨城県 猿島郡 境町 S様
【お客様】S様、S様のお母さま
「オレが建てた家だから丈夫で当たり前だけどな。」
そう嬉しそうに話す会長と社長のインタビューに、私川上も同行させて頂きました。 インタビューが進むに連れて明らかになる、会長の武勇伝、昔の家づくりの苦労、そして家づくりに携わる者として忘れてはいけない誇り…。
時代を超えるインタビューに、私たちスタッフも知らない、篠原工務店の原点を見たような気がしました。今回は少し長くなるのですが、最後までお付き合い頂ければ本当に嬉しく思います。
会長:Sさんの家は俺が始めて造ったうちだよな。
S様母:そうだ、最初な。学校下がってなあ。(※下がる=卒業)
会長:学校下がってすぐだよ。だから築40年。
社長:57歳だから42年前ですか。
(S様登場)
S様:どうも。
会長:どうもー。悪いね。これ、檜伝説のTシャツ(注:テレビチャンピオン優勝記念に作ったもの)持って来たから。…Lサイズじゃ小さくて入んないか?(笑)
S様:大丈夫だよ(笑)。
会長:あっはっは。 ところで、・・・Sさんが生まれる前だろ、向こうのうち造ったの。(※向こうのうち=会長が初めて建てた建物。ちなみに「こっち」は後から建てた(増築した)店舗=たばこ・雑貨屋。インタビューは店舗のほうで行なわれた。その他、車庫や納屋もあり。)
S様:1番向こうは・・・とっくに俺は生まれてたよ。勉さんはバイクで来て、バイクだったから。(※「バイクで来てたんだよな」ぐらいの意味だと思われる。)青っぽいの乗ってたべな。
社長:ああ、仕事来るのにバイクだったんですか。じゃあ吹っ飛んで歩いてたんだな(笑)。(※吹っ飛んで歩いてた=バイクを乗り回していた。)
会長:車の免許はなかったんだよ。
S様:学校卒業してすぐだからな。おとっつぁん(会長の父。社長の祖父。大工。)が建てた貴重な建物は、あれぐらいだべ、残ってるのは。
会長:そうだ。それなんで来たんだよ。
S様:重要文化財として?
一同爆笑
S様:1番向こうの古いほうの家を建ててる時に、コウちゃん(会長の父)が用事があって出かけて行って…。で、会長が1人で仕事して、俺も一緒に手伝ったりしたんだよ。
S様母:下で見てたっけなあ。
S様:で、コウちゃんが夕方帰って来て、こうやって腕組みしながら『俺よりよくできた』みたいな顔して見てたんだよ。『俺よりうまい』みたいな顔して(笑)。
会長:いくつぐらいの時だんべ。16ぐらいの時だよな。
S様:16だよ。俺が・・・中学生になったんで造ったんだもの。部屋がなかったんで。うちはほんとに小さいうちだったんだ。前の車庫もみんなコウちゃんがやったんだ。・・・まだ壊れずにもってんだから大したもんだよな。大事に使ってんだけどよ。
あのころで家は50万ぐらいだんべ?その家が40年もってんだから。(S様)
会長:当時はテーラーで材木を運んだんだよ。
久野:?
S様:テーラーって言うのはエンジンが前についてて、今はトラクターっていうやつに乗ってんべ?
久野:はい。
S様:あれみたいに乗るんじゃなくて押して歩くやつだから。リヤカーをつけてな。まあ結局トラックの代わりだな。
会長:昔はとにかく車がなくて、うちなんかもリヤカーだよ、材木運ぶのは。昔は大工さんみんな材木を運ぶのはリヤカーで、そのはしりだよ。よくあの、K材木の番頭が、自転車でリヤカーに材木乗せて走ってたの、覚えてる?
社長:子供の頃に見たよね。
S様:材料が長いと、こう斜めにのっけて、自転車がこうあんべ、これじゃ運転できないから斜めに材料をのっけて・・・。
社長:わかる?
久野:いやちょっと、映像が浮かびません・・・
社長:自転車の後ろにリヤカーがくっついてんだよ。
S様:リヤカーは知ってるでしょ?
久野:あ、はい。
S様:今で言えばトレーラーだと思えば大丈夫だよ。
久野:ああ、わかりやすいですね。あれが人力なんですね。
会長:リヤカーに材木のっけて、で片方の手でこう押えるんだよ。左手でハンドル持って、こう走るんだ。
久野:じゃあ今より工期はずっと長かったんですか?
会長:ああ、なーがかったよ。半年から1年。
社長:遠くの現場にも行けなかったんだね。
久野:そうですよね。
会長:ああ、遠くへは建てられない。
S様:大体材料はうちで刻んできて、で、足りない分は現場で刻むわけだから。
S様母:幸手(埼玉県)の古材屋にコウちゃんと何回も行ったりしたよな。
S様:あの時うちにはトラックがあったんだよな。野菜(※=農業)やってたんで。コウちゃんと一緒にトラックに乗せてもらって材料買ったんだよ。
S様母:何回行ったか知れねえよな。
会長:新しい材料は買えなかったから、ほら。昔だから。大体月給があの時分で・・・役場員で1万ぐらいだったかな、大工が1日500円。
S様:会社員がひと月1万3~4千円もらってたんだんべ。
会長:会社のほうがちょっと良かったんだ。
S様:で役場に行く人がいなかったんだ。今じゃ逆だがな。
会長:家は安いもんだよな、考えちゃ。あのころで50万円ぐらいだんべ。その家が40年もってんだから。
S様:(小声で)そのうちタダで建替えてくれるって言うからうちは建替えないでおくんだ。
一同爆笑
S様:あの頃、スカイラインの普通のエンジンのやつが88万で買えたんだよ。GT-Rつってあれはレース専門のエンジンがのっかてんだけど、あれが160万で買えたんだ。今じゃ160万じゃ・・・
会長:今はカローラだよ。
社長:車が160万で家が50万じゃ安いですね。
S様:安いよな。あの頃はみんな古材を使ったけど。そういう時代だったんだよな。
「篠原のおじさんと、死ぬ前に約束してたんだから」って言って…(S様)
会長:俺の親父と、Sさんのお母さんの連れ合いが、同級生だったんだよ。
S様:うちは親戚にも大工がいるんだけど、親父がコウちゃんと仲良くって。
S様母:こっちの家を建てる時に、どこで建てるべって話になったんだ。
S様:親父は『コウちゃんに頼むからな』って決めてたんだけど、コウちゃんはその前に亡くなっちゃたんだよな・・・。(※小冊子「日本一の大工になりたかった少年の物語」の39ページに記述有り)
社長:じゃあ、俺が生まれるちょっと前だ。
S様:で、『ツーちゃん(勉(つとむ)=会長のこと)、俺はコウちゃんと約束したんだ』って言って、勉さんに建ててもらったんだ。
会長:こっちの家はな。(※=店舗)
S様母:親戚の大工には、『Sさん、タダでもいいから造ってやっから』って篠原大工さんに言われてるから他には頼めないんだ、って言ったのを覚えてるよ。
S様:親父も、『俺は篠原のおじさんと死ぬ前に約束してたんだから』って言って…。
ああいう複雑な継手は、大工じゃなきゃできない。(会長)
S様母:でも家は長くもつもんだな。
会長:まだまだ、あと20年はもつよ。
S様:この前、2階のトイレとそこの風呂場をリフォームしたんだよ。それは親戚の大工に頼んだんだけど、で、壁を剥がしてみたら、『いい材料使ってるよ』って。誰も4寸角(=12㎝角)なんて良い材料を使わなかった頃、使ってくれたじゃない。
会長:懐かしいよな。俺が大工を始めた頃に建てた家で残ってるのはなかなかないんだよ。みんなもう壊しちゃったからな。
社長:前に、建てるのは冬場になるんだって聞いたことがあったけど、そんな時期だったんですか?
会長:農家の家を建て始めるには秋だったからな。
社長:稲刈り終わって・・・
会長:翌年の4月5月位までは(大工の)仕事が大体あるんだよ。その後はねえから出稼ぎに行かなきゃならない。夏場は、農家が忙しいから大工は仕事がなかった。今は通年やってるけど。
S様:あとは、何月ごろ建てると壁が乾かない、とかあったから・・・。
社長:建ててすぐは放っておかなきゃいけないとかですか?
S様母:ああ、それはあったぞな。
S様:あとは屋根のっけてしばらく置いとくとか。
S様母:乾かした方がいいとかな。そうに言われたよな。
社長:乾燥材(※水分を乾燥させた材木)なんか使ってなかったでしょうからね、あの頃は。
会長:そうだ。そうだよな。昔は生の木だから。だから建ててからも2年くらいバリンバリン(木が乾燥するときの)音がするわけだ。
S様:今みたいにあれは入ってなかったんべ、背割れ。
会長:そうだな。今は人工的に乾燥させるんだ。柱が製品としてくる時には、もう乾いちゃってる。だからもう柱が現場に入ればバタバタ建てられるんだ。
S様:昔は柱にするまで乾かして、柱にしてからまた乾かしてたよな。
会長:そうだよな、昔は生のほうがいいってんでほら、水分があったほうがノコギリでも切りやすいから。
社長:加工しやすいんだ。
S様:今じゃほとんどプレカットになっちゃったんべ。やっぱりあっちのほうが正確だんべか?
会長:大工は人だから間違うこともあるからな。コンピューターはまさかな。
S様:そうだよな、何十本切っても同じだからな。
会長:うちの大工も、まさかあそこまでは出来ないって言うもんな。プレカットには負けちゃうって。いくら腕のいい大工でもな。特別な、TV(※TVチャンピオンのこと)でもやった『四方追掛継』(しほうおいかけつぎ)とか、ああいう複雑な継手なんかは大工じゃなくちゃできないけど。
S様:俺が一番不思議なのは、天井裏なんかに使うべよ、丸太なんか。あれの墨出し(※墨を浸した糸をはじいて目印となる線をつけること)ってのがどうやるのかわかんなくってよ。ああいう丸太は、今でも使うとこあるんだ?
会長:あるよ。
社長:タイコ梁なんてのわかる?タイコになってて、上に束が立ってて・・・。
久野:あ、はい。
S様:梁は丸太だから湾曲していて上に乗る束の長さも違うのに、その上は平になってるべよ。俺らは当然素人だからできないけど、昔はそういうのべえ使ってたからよ。
久野:ええ、あれがどうしてまっすぐになるのか・・・。
S様:平になるのか、な。
社長:あれ見ちゃ大工はすごいなって思うよな~。
久野:思いますよね~。
会長:簡単なんだよあんなのは。
S様母:簡単て言うけれど、初めて聞く人にはわからないよなあ。
上棟今昔物語
社長:建て方(※棟上げ)だのは、1日じゃ終わんないんでしょ?
会長:建て方は・・・大きいうちじゃ3日だよ。クレーンもなかったしな。村中総出だよ。大きい家を建てるときじゃ70人位くるんだもん。
社長:え、それは大工さんじゃない人も手伝うってこと?
会長:そう。
S様:大工さんは7、8人来るんだよ。で『い』の三番出せって言ってみんなで持ち上げて。
会長:要するに人力だ。(※上棟時は同じような材木が現場に並ぶので、梁や柱には、いろはにほへと…と、一二三四五六…を組み合わせた番号がついている。)
S様:今みたいにレッカー屋が来て、鼻歌まじりにやるんじゃないからな(笑)。
会長:だから、大変だったな、昔はなあ・・・。大工は明日建前だっていうと眠れなかったよ。
S様:そうだんべよな。気をつけないと、恥かいちゃうっていうんじゃないけど、プライドもあるからな。
会長:そうだよな。ま、大工っていうのは建前じゃ花形なんだよ。幸せのちょうど中心にいるわけだ。村中の人がだいたい50人から多いうちじゃ70人くらい来て、2日も3日も一緒に手伝ってやる。だから、ごまかしもできない。な、みんな見てるから。『あれ、大工さんここ違うんじゃないの?』って言われてはいけない。
S様:うちの本宅でもあったべよ。
社長:材料が長ければ切っちゃえばいいけどね、逆に短かったりしちゃね(笑)。
会長:面白がって見つけるのがいるんだ、そういうのを。
S様:黙ってりゃいいのになあ(笑)。そういう人に限って、普段大きい声を出さないのに、そういうときだけ大きい声で言うんだよなあ。
社長:5、60人集まるんじゃ余計評判になっちゃいますね。『あの大工はいっつも間違ってるんだ』なんてね。
会長:そう。だから腕がいいか悪いかってのがすごくわかるわけだよ。で、あの大工は腕がいい、ってことになれば、パーッと広がる。腕が悪いってことになれば今度は村中の人がみんな言うわけだ、『あの家は建前にならねえぞ』。建前にならない家が結構あったんだから。
S様:それもあるし、材料もみんな見てるべ?だからヘタなの使えねえんだよ。今じゃ建設現場はシートを張って目隠ししてしまうから見えないけれど、昔はみんな見てたから。そういうところみんなあちこちで見てるから、変なところで目が肥えてたよな。
社長:なるほど。
S様:建前っていうのは、みんなに見せるショーだったからな。
会長:晴れ舞台だったよ。
俺、会長と似てるかも知れないな…(社長)
久野:お餅まいたりってのは・・・
S様:やったやった。
久野:今と同じような感じだったんですか?
会長:ぜんぜん違う。昔は、“ヘイグシ(幣串)”ってほら、旗を立てて。それで餅をね、みんなで撒くんだよ。100人くらい上がっちゃうんだから。
S様:写真があるから見たければあとで持ってくるよ。
会長:ちょっと見せて。
S様:確かあの中にあったと思ったな・・・(写真を探しにいく)
会長:で、みんなで餅まいてて、落っこちゃったことが1回あるんだ。
久野:会長がですか!?
会長:俺じゃないよ。餅まいてて、人間が落っこちちゃったんだ。大怪我だよ。死ななかったから良かったけど。
社長:縁起悪いもんなあ。 (S様が戻ってくる)
S様:(写真を見ながら)これが古いほう、これがこっちの建物・・・
久野:にぎやかですねー。
S様:これ、餅ひろい、餅ひろい。
社長:ああー。すごい人数いるよ。これはどこを建てた時のですか?
会長:これはここだよ。
社長:太鼓なんて置いてあるぞ。ん?酒樽か?
会長:(写真を指差して)・・・これが俺だ。
久野:あー・・・・・・全然変わってないですね。髪型が違うけど。
S様:建前の時の写真だ。
会長:これはこっちの新しい方だよ。
S様:古いほうの建前の写真はないんだ。これが会長の若い頃。若い頃もあったんだよ(笑)。な、会長?
会長:(写真に夢中)これも俺だ。
久野:ああ、今の社長と・・・似てますね。
社長:(無視)いっちゃんがいる、いっちゃん。これは和田さんか?
S様:うん、いるよ。
社長:いっちゃん、和田さん、モリちゃん・・・
S様:モリちゃんはこの頃もう来客を通す『いい部屋』を任されていたんだよ。あの頃からモリちゃんは腕がよかったんだよ。
会長:この頃はもう生ビールが出てたんだ。
S様母:みんな喜んだんだよなあ。珍しかったんだ、まだな。庭で樽から入れるのは。
会長:(写真に夢中)シンちゃんだ、若かったなあ。・・・大半が生きてたんだもんな。涙出ちゃうよ(しみじみ)。
S様母:涙出んぞなあ。
S様:これはいくつぐらいだんべ、俺が22、3だぞな。
会長:30歳位だ。
S様:フミちゃんと同級生だっけか?
会長:俺はフミちゃんと同じだ。
社長:(ボソッと)・・・俺の顔、やっぱり会長と似てるかも知れないな…。
久野:はい。あ、では最後に。今までのお話の中で、当時の材料を運ぶ時の苦労話などがでてきましたが、『S様邸を建てている時の苦労話』、なんてのはどうでしたか?
社長:Sさんの家を建築中の。
S様:苦労話は・・・、従業員教育をツーさん(※会長)がしっかりしていたから、そんなにきっと苦労はしてねえと思う。締めるところはちゃんと締めてやってたからな。みんなてきぱき動くから、こっちの新しい家はツーさんがやったの、ここだけだもんな。この天井な。
会長:そうだっけか?(笑)
S様:ほんとだよ、覚えがあるもの。俺、そこらに足をのせて怒られたもの。上から足をちょこっとのせただけなのに、『取り替えなきゃなんないべよっ』って(笑)。
一同爆笑
社長:この写真、お借りしてもいいですか?
S様:持ってっちゃってかまわないよ。
社長:ありがとうございます。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
篠原工務店の久野です。長文を最後までご覧頂き有難うございました。方言丸出し(笑)のインタビュー、いかがだったでしょうか?、
時代とともに商業化され、どんどん早く便利になってきている住宅作りですが、そこに【人間】の心や手が加わらないと、本当の意味での『家づくり』にはならない・・・。42年前のお話しを聞きながら、そんなことを感じられた一日でした。仕事に厳しい会長ですが、その理由が少し分かったような気がします。
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